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カヌー・スラロームの羽根田選手。スロバキアでのストイックな生活|アナザースカイ

      2016/12/11


リオ五輪のカヌー・スラロームで、日本人としては初めてのメダルを獲得した羽根田卓也選手。
それどころか、カヌー競技でメダルを獲得したのは、男女を通じてアジア初の快挙。

メディアを通じてみる羽根田選手は、カッコいい男性で愛嬌のある人物の印象だ。

12月9日の「アナザースカイ」から、そんな羽根田選手について居住しているスロバキアでの生活をご紹介。

 

カヌーをはじめた&スロバキア留学のキッカケ

羽根田選手は、今までに3回オリンピックに出場。

2008年の北京五輪では、予選14位。
2012年のロンドン五輪では、7位入賞。
2016年のリオ五輪では、見事3位で銅メダルを獲得。

右肩上がりで成績をのばしていた。

そんな羽根田選手は、同じく選手だった父の影響で、9歳からカヌー・スラロームをはじめる。

高校3年生の時に、世界大会で6位となるも、悔しさと同時に手応えを感じ、スロバキアへ留学を決意。

スロバキアへ留学したのは、同国はこの競技で強い国の1つであり、なにより憧れのミハル・マルティカン選手がいたからだそう。

拠点を移し、はや10年。

羽根田さんは、スロバキア共和国の首都ブラチスラヴァで、カヌー漬けの日々を送っていた。

好物は酸っぱいもの

スロバキア特産の羊のチーズがたっぷりとかかった伝統料理「ブリンゾヴェー・ハルシュキ」。
小麦粉とすったジャガイモ混ぜ合わせたニョッキを使った料理。

そんなスロバキアの料理はおいしいのもたくさんあるが、日本の料理はやはり美味いと語り、中でも「もずく酢」と答えた。
酢のものなど、酸っぱいものが好物だという。

スロバキアでは、キャベツの漬物「クヴァセナー・カプスタ」が酸っぱくて大好物。
日本に帰ったら、この「クヴァセナー・カプスタ」を売るビジネスでもはじめようと思うほどだそうだ。

スロバキアの見どころ

スロバキアの見どころを語った羽根田さん。

夏の夜の旧市街。
“ひっくり返したテーブル”というあだ名がついた、ブラチスラヴァ城とドナウ川。
あとは、スロバキア美女。

そんなスロバキアの魅力を語る羽根田さんは、今、29歳で独身だという。

カヌー・スラロームに大切な事

競技で使用するカヌーには細かい規定があり、全長は3m50cm以上ないとだめで、短いと小回りが利きすぎるとして反則になるという。
また、重さは8kg以上。

羽根田さんの種目は、カナディアン(片方漕ぎ)で、そんなカヌーの中での姿勢は正座だという。

日課のトレーニングは、1日2回、人口の練習場へ車で向かう。

練習場は、ドナウ川から水を引き人工的に作られた渓流コース。
世界中のトップ選手が練習をしに来るほど人気のコースだそうだ。

カヌー・スラロームは、激流の中に設置された20~25のゲートを決められたとおりにくぐって、誰が一番早いか競う競技。
ゲートに接触してしまうと2秒加算され、ゲートを決められたとおりに通過できないと50秒加算されるルール。

大切なのは、水の流れに合わせて適切なパドリング動作を行うこと。
流れは常に変化していて、その流れの呼吸を読むのがポイントだと語る。

勝つための考え方

羽根田さんは、独自の勝つための考え方を持っていた。

試合直前にメンタルを作ることを考えず、そのためルーティーンも作らない。
普段の練習が、一番のメンタルトレーニング。
普段からの積み重ねが、ここ一番の力になる、と語る。

常に本番、練習と本番を区別しない。

羽根田さんの体はたくましい筋肉で覆われ、特に横腹の腸腰筋が肥大していて、よく「触らせて下さい」と言われるそうだ。

スロバキアの大学と大学院へ通った

カヌー以外の空いた時間は、勉学に費やした。

日本の大学ではなくスロバキアの大学、大学院へ通った。
主にコーチング学を学び、リオ五輪1ヵ月前まで学生だったという。

スロバキアでは、練習環境だけではなく、大学でトレーニング理論や方法など、強くなるためのプロセスを学んだ。

生活は質素倹約

羽根田選手が住むスロバキアの自宅はアパートで、間取りは1K。
部屋に物はあまりなくサッパリとした、質素な部屋。

マイナー競技なため、生活はいつも質素倹約。
お金を娯楽に使うイメージがわかないという。

現在は地元後援会とミキハウスから援助を受け生活を送っているが、協議続行すら危うい時期もあったという。
資金面にハンディがあったら勝てないと感じ、ロンドン五輪の後に色んな企業に手紙を自分で書いて送ったそう。
しかし結局どこも会ってくれず、会ってくれたのは今のミキハウス。

結果を出せなければただの金食い虫と、プレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、必死に生きていた。

この日、スロバキアで近く日本料理店を開店させるという日本人の友人が羽根田さん宅へ遊びに来ていた。
この友人はじめ、日本人とかかわりを持つようになったのは、ここ1~2年のことだという。

そこまで目標に対しての強い意志を持ち、ストイックに自身を追い込んでいた。

「貴重な若き時間を犠牲にできるか」

師と仰ぐ、感謝しきれないほどの恩人という、コーチのミランさん。
彼自身も、同競技でヨーロッパチャンピオンにも輝いた実力者。
羽根田さんが強くなるためには、ミランさんが必要だったという。

そんなミランさんは語る。
「他のアスリートに聞いてみたいよ。」
「”卓也のように貴重な若き時間を犠牲にできるか”って。」
と、その努力家という言葉では語りきれない、羽根田さんの人柄を語った。

スロバキアでの10年は何をもたらしたのか

そんなスロバキアでの生活は、羽根田さんに何をもたらしたのだろうか。

羽根田さんはこう語る。
「とにかく、日本の空気を吸っちゃいけないとずっと思っていた。」
「日本の空気を吸うと自分が弱くなると考えていた。」
と。

己をいましめる為、具体的に自分がメダルに向かっていくためにある言葉を書いたという。
それは、宮本武蔵の「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」という言葉。

何年もかけて積み上げた努力は、裏切らない、裏切るわけがない。
スロバキアを訪れ、人生と、人生観が変わった。
常に自分を成長させてくれる、厳しい選択をさせてくれたのはスロバキア。

言葉も分からない、金もない、苦楽を共にするチームメイトもいない。
果てしなく続く孤独な道。
己に厳しくあり続け、信じた道をただひたすら突き進んだ。

そして、リオ五輪でメダルをとり、涙した。

スロバキアの10年は、己で選んだ道が間違いじゃなかったことを証明してみせた。

そんな羽根田さんは、東京五輪に向け、過去の自分を超えること、競技の認知度をもっと高めることを目標とし活動しているという。

最後に、羽根田さんのスロバキアとは。
“第二の故郷というあったかい場所ではない。常に自分を厳しく成長させてくれる場所。”だという。


世界でメダルを獲れるカヌー人に上り詰めた羽根田さんは、最高にカッコよかった。

以前同番組で、サッカーの長友さんが語った”サッカーから学んだ人生で一番大切な事”はこちら。

スロバキアに興味を持ってしまったので、こちらをご紹介。


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